小十郎の笛の音は月夜に似合う。
 ひんやりとした夜風は初夏独特の湿り気を帯びていて、少しばかり酒で火照った身体に心地よい。酒の肴にねだった小十郎の笛は、この男にしては珍しく異国の音色であった。
 政宗は自分で盃に酒を満たすと、一口飲む。口の中で広がる清んだ酒の香りを楽しみながら、左眼を閉じて独特のリズムで繰り返し奏でられる音色に耳を傾けた。
   さわさわと頬を撫でる風。
 むせ返る青草の匂い。
 身体がふわりと軽くなり、自分が一陣の風になったような、そんな錯覚に襲われる。
 そうして、海を渡り大陸の向こう、遥かに広がる草原を旅するのだ。
 風が平原を渡る。その向こうには河があって、山があって。
 馬がいるだろうか。そう、人もいるだろう。この国のものとはまったく違う装いの。

   政宗が書物でしか知らぬ、遠く西の果てへ行くという道はきっとそういうところなのだろう。
 ふと、彼は眼を開けた。
 当然の事ながら眼前に広がるのは異国の草原ではなく、月明かりにほの白く照らされた庭先の向こうに見えるのはよく見知った奥州の平野だ。月が在る天空だけは、恐らく同じであろうけれど。
 小十郎の笛は留まることなく紡がれていく。
 男はやや下がったところにあたかも別世界の住人であるかのように座している。淡々と語り部のような風情でいる彼を、政宗は自分と一緒に連れて行きたくなった。ひとり風になるのも悪くはないが。
 盃になみなみと残っている酒を一気に喉に流し込むと、政宗は無心に演奏を続ける小十郎の手を取った。
「政宗様?」
「お前も来い。」
 戸惑う小十郎の手首を掴んだまま、素足で庭先に飛び降りる。笛が手から滑り落ち、縁側にことりと残された。
 急なことで転がるように体勢を崩した小十郎を、政宗は心底楽しそうな表情でグイと引き寄せた。六爪を扱う腕力は頭半分大きい男を容易く絡め取る。
「…まったく…困ったお方だ。」
「いいだろ?」
 小十郎は小さく頭を振って、掴まれた手をそっと解いた。
 そういうどこか余裕を伺わせる仕草は、政宗の知り得ぬ小十郎の過去と心の奥底があるように思え、政宗は自分が彼よりも随分と齢若いことがもどかしくなる。
 自分はこの情人を捕まえておくために精一杯背伸びをし、腕の中に閉じ込めておこうとするのに必死だというのに、不公平ではないか。
 政宗は離れていく手を追いかけるように伸ばすと、小十郎がはにかんだように小さく笑ってその手に指を絡ませてきた。普段なら絶対に嫌がる――いわゆる恋人繋ぎを自ら仕掛けてきたことが嬉しくて、政宗が破顔する。
「…このようなところで踊る踊りなど、存じませぬ。」
「いいんだよ。適当にStep踏めばいいんだ…ほら、こう。出来るだろ?」
「…手はこのままなので?」
 ふ、と男臭い表情で政宗を伺う小十郎に、政宗も負けじと雄の顔になる。
「Of course!俺のLeadに任せりゃいい…閨みてぇにな。」
「なッ…。」
 あからさまな物言いに夜目にも顔を赤くした男に構わず、クツクツと政宗は笑った。そうして、繋いだ手はそのままに、すっかり耳に馴染んでしまった先刻の曲を口ずさみながら、二人夜の庭でくるくるとリズムを刻んだ。
 素足で踏む草の感触がまさに雲の上を歩いているように思えるのは、酔いが回ったからだろうか。
 二人を見下ろす望月には、まるで異国の者達のようにその姿が映っているのかもしれなかった。
 不意に、小十郎の足が縺れた。
 政宗は歌を引っ込めて両の腕でその身体を抱きとめ、そのまま腕の中に閉じ込めるつもりが…先に小十郎の手が政宗に縋るように回された。
「こじゅ…」
「…何も、申されますな。暫しこのままでいることをお許しいただけますか。」
「珍しいな、どうした?いつもは…ギリギリまで意地を張るくせに。」
 クスリと頬を緩めた政宗が、どこか子供のように甘えた仕草の男の背をゆるゆると撫でる。
 小十郎は年若い主の温もりがじんわりと伝わってくるのに暫し酔った。
「政宗様は」
 仄かに良い香りのする肩口に顔を埋めたまま、小十郎がポツリと漏らした。
「この小十郎に…余裕があると思われているのでしょうな。」
「……違うのかよ。」
 政宗の少し不貞腐れたような応えに、少し間をおいて小十郎は自嘲気味に息をつく。
「…もしもその様にみえるのでしたら、愚かな大人が体裁を取り繕っているだけのことにございましょう。溢れそうになっている貴方様への気持ちを…己で扱いかねているのを知られたくないという、ただそれだけのこと。」
「…お前は大人じゃねぇか。こんな…ガキのあしらいなど朝飯前だろう。」
「昔はそうだったかもしれません。俺はいつも小さい梵天丸様を抱きしめる側でしたのに、いつの間にやら俺の手に収まりきらぬほど立派になられました。…そうして貴方はいつか俺の元から飛び去っていくのでしょう。」
 ぎゅ、と政宗に縋る手にほんの少し力が篭った。
「小十郎…?」
「俺はそれを恐れている。貴方はあまりに鮮やかに先を駆けて行くので…情けを頂くこの身でありながら、時にこのままずっとこうして触れていたいと願ってしまう。」
「馬鹿だな、お前は。」
 政宗が男にだけ聞かせる優しい声音でポツリともらすと、小十郎が顔を上げた。ばらりと前髪は落ち、その間からなんとも幼い眼差しがのぞいている。少し高いところにあるそれを掻きあげてやりながら、頬の傷に口付けた。
「お前がそう願ってくれる限り…俺はお前を離したりするもんか。ガキ臭い独占欲かも知れねぇけど…お前は俺の一部だろう、違うか?」
「いいえ…相違ありませぬ。」
「分かってんなら、いい。」
 そうして、政宗は目の前の、愚かしくも愛おしい男の手を掬い取ってその甲に唇を押し付けた。
「…Shall we Dance?」
「ええと…申し訳ありませぬ、意味が…」
「Nevermind…こういうことだ。」
 政宗は小十郎を誘うように手を引いて、再び異国風の曲を口ずさみ、ステップを踏み始める。
 縺れるように二つの影が一つになった。
 さわさわと夜風が夏草を撫でる。
 月明かりの下、今はただ二人きり。





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